ふぅのおブログ

うさぎと暮らす、自転車と映画が好きな29歳(女)です(・ω・)毎日を生き延びるのに全力。

私が抱えているもの

※この記事は、人の死に関わる、ショッキングな表現が含まれています。

 

これは、私が自分の抱えている一番キツいことを吐き出すために書く。いつか自分に何かあった時のために残したい。そしてまだもう少し踏ん張らなきゃいけないのなら、これを一人で抱えて生きていくことができない。誰かにわけることはできないけど、少し知ってもらえたらと思った。

 

私は自死遺族です。今から私が第一発見者として苦しんでいる記憶の一部を書きます。

同じような経験をされた方、気持ちが不安定な方、今あまり調子が良くないなと感じる方は見ないでください。心に余裕がない方は見ないことをおすすめします。

見るか見ないかは自己判断でお願いします。

 

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2021年5月末

母は原因不明の体調不良になった。

主な症状はめまい。

 

そこから数ヶ月ずっと症状が続くようで、外出も減り、何もかもやる気がなくなっていたよう。それでも私と会った時は"大丈夫そう"に見えた。

 

「精神的に疲れてると思うから今は休む時だよ」と言った。私は心配なのでたまに実家に様子を見に行った。連絡も2日に1回のペースで取っていた。一緒にどこか出かけようと誘ってみたが、母は遠慮して出かけたらがらなかった。これはもう鬱病だ。私も22歳から数年間、鬱病だったのでわかる。私はその時、人と関わることをやめていた。引きこもっていた。母に支えられた。だから母にも焦らずゆっくり休んで欲しかった。

 

7月末

最後に出かけたのは、叔母と母と3人で、天王寺にある一心寺というお寺。母の母と父(私にとっての祖父母)の永代供養のお参りだった。その日も母は疲れているようで、「もう死んでしまいたいくらい辛い」とこぼした。私は話を聞いていた。おばは「そんなこと言わんとって」と怒っていた。

 

 

8/11

いつも通り、母に送ったはずのLINEに、既読がつかない。

疲れてたくさん寝ているのかと思い、そっとしておく。

 

8/12

まだ既読がない。おかしい。こんなことは今までなかった。

この日の夜、私は嫌な予感がして寝られなかった。

 

8/13

朝5:00

悪い夢を見て起きる。母の足首が無い夢。車を借りて実家へ行こうか迷った。しかし怖くて一人で行けなかった。「もう少し明るくなってから」と思ってしまった。

 

朝からどうするか迷い続けていた。彼氏と出かける予定だったので彼氏が車で迎えにきてくれた。

 

迷った。遊びを断るか、遊んで帰ってきてから一人で行くか、今一緒に行くのか、迷った。

 

私はすごく気分が重かった。頭の中でグルグル迷い続けていて、何も話すことができなかった。車に乗りこんでから「…どうしても母が心配だから実家に寄ってもいいか」と話した。「行こう」と彼。

 

雨がパラついていた。

実家についた。

母の靴がない。

綺麗に畳まれた布団

 

置き手紙、「ふうかさん、ごめんなさい。○○(おばぁちゃんの家)に居ます。たどり着けるかわかりません。」

そんなようなことが書いてあった。

 

おばあちゃんは3年ほど前に亡くなった。家はもう空き家になっている。

頭は真っ白。

また迷った。

もうダメな気がしていた。

この先一人で行くのか、彼に着いてきてもらうのか。

 

どう話したか覚えてない。

母の実家(おばぁちゃんち)へ向かうことになった。

 

おばぁちゃんちへついた。

彼には少し離れたところで車で待つように言った。

 

一人で入る。

母の靴がある。

「お母さん?」

1Fのリビングのテーブルに置き手紙、

「ごめんなさい。2Fにいます。一人で見ないでください。警察を呼んでください。8/11」

 

2日前の日付

もうだめだ。

階段を上がった。

 

スマホと老眼鏡がそっと置かれていた。

 

2Fの部屋の扉が開いていた。

その部屋に母がいた。

 

だめだった。

 

こわかった。

近づけなかった。

 

その時の姿が頭から離れない。

この10ヶ月ずっと頭にこびりついている。

 

私は家から飛び出した。

足がずっと震えていた。

彼に状況を説明した。

警察、救急車、おばに電話した。

 

おばはすぐに来た。

おばが見に行くと行った。止めたが聞かなかった。一人で見せたらダメだと思ったので着いて行ってしまった。

 

おばが泣き叫んでいた。

「アホとちゃうか!!!!こんなことして!なにしてんのよ!!!」

 

私はおばを止めた。

私はそれ以上そこにいたくなかったので、もう行こうと言った。

 

そのあとも大変だった。

でもここまでのことに比べたら、なんてことないのかもしれない。

 

もう10ヶ月近く経つのに、全てが目の前で起きているかのように思い出される。

 

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こんなものを抱えて、どう生きていけというのか。

母は自分がしんどくなってからずっと日記をつけていた。それ以外にも母のスマホの検索履歴やメモを見てしまった。そうしていくうちに、私の中に、母の苦しみが乗り移ったと思う。母は、おばとケンカしていた。おばはまたすぐに仲直りするつもりだった。それが寂しかったみたい。私がいくら連絡しようが、だめだったみたい。

母は生きたかったけど生きられなかった。

 

母が亡くなってからしばらくの間…

電気を消すことができなかった。

外へ出かけてもポロポロと突然涙が出てきた。

仕事の帰りは毎日泣いていた。

一人でまともな思考で家で過ごすことができなかった。

声も小さくなり、全てが悲しく思えた。

関係のない部屋でも扉の向こうを覗くことすら怖かった。

雨の日も悲しくて何もできなかった。

外へ出ることも大好きなサイクリングすることも難しかった。

自分を責め続けた。毎日心の中で謝りながら生きていた。

人と会うこともやめて、早く死んでしまうもりだった。

何度も死のうとした。

同じ場所で同じ方法で逝きたいと何度も思った。けど、怖くてできなかった。頭から離れない最後の姿。

 

今…

上に書いたことは全て、今は違う。頻度や度合いが減った。私は10ヶ月でこんなにも変わろうとしたし、変わった。でも、それでは足りないらしい。もっと変われと急かされる。次から次へと困難がある。ただ生きてるだけではだめらしい。

 

「もういいや」そう思ってしまう。私は今日まで頑張ったと思う。だからもう許してほしい。

 

いろんな人に話してきたが、それで誰かが劇的に私を救うわけもなく、生きる苦しみが和らぐわけではない。人は人、自分は自分なんだなと改めて思う。

 

「誰かに助けて欲しかった。わかってほしかった。」と思うことすらおかしいのか。甘えなのか。私がまともだからこうなるのか、まともじゃないのか、わからない。

 

何がなんだかわからないが、ただ、私はもう何もしたくない。昨夜から涙が止まらなくて胸が潰れそうに痛い。

 

楽しいことも苦しいことも、全てが面倒で、投げ出したい。

 

…そう思ってるけど多分いつかまた元気になるはず。みんながわたしに声をかけ続けてくれるかぎり、会いたいと言ってくれる限り、会う予定が続く限り、たぶん大丈夫。