私が抱えているもの
※この記事は、人の死に関わる、ショッキングな表現が含まれています。
これは、私が自分の抱えている一番キツいことを吐き出すために書く。いつか自分に何かあった時のために残したい。そしてまだもう少し踏ん張らなきゃいけないのなら、これを一人で抱えて生きていくことができない。誰かにわけることはできないけど、少し知ってもらえたらと思った。
私は自死遺族です。今から私が第一発見者として苦しんでいる記憶の一部を書きます。
同じような経験をされた方、気持ちが不安定な方、今あまり調子が良くないなと感じる方は見ないでください。心に余裕がない方は見ないことをおすすめします。
見るか見ないかは自己判断でお願いします。
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2021年5月末
母は原因不明の体調不良になった。
主な症状はめまい。
そこから数ヶ月ずっと症状が続くようで、外出も減り、何もかもやる気がなくなっていたよう。それでも私と会った時は"大丈夫そう"に見えた。
「精神的に疲れてると思うから今は休む時だよ」と言った。私は心配なのでたまに実家に様子を見に行った。連絡も2日に1回のペースで取っていた。一緒にどこか出かけようと誘ってみたが、母は遠慮して出かけたらがらなかった。これはもう鬱病だ。私も22歳から数年間、鬱病だったのでわかる。私はその時、人と関わることをやめていた。引きこもっていた。母に支えられた。だから母にも焦らずゆっくり休んで欲しかった。
7月末
最後に出かけたのは、叔母と母と3人で、天王寺にある一心寺というお寺。母の母と父(私にとっての祖父母)の永代供養のお参りだった。その日も母は疲れているようで、「もう死んでしまいたいくらい辛い」とこぼした。私は話を聞いていた。おばは「そんなこと言わんとって」と怒っていた。
8/11
いつも通り、母に送ったはずのLINEに、既読がつかない。
疲れてたくさん寝ているのかと思い、そっとしておく。
8/12
まだ既読がない。おかしい。こんなことは今までなかった。
この日の夜、私は嫌な予感がして寝られなかった。
8/13
朝5:00
悪い夢を見て起きる。母の足首が無い夢。車を借りて実家へ行こうか迷った。しかし怖くて一人で行けなかった。「もう少し明るくなってから」と思ってしまった。
昼
朝からどうするか迷い続けていた。彼氏と出かける予定だったので彼氏が車で迎えにきてくれた。
迷った。遊びを断るか、遊んで帰ってきてから一人で行くか、今一緒に行くのか、迷った。
私はすごく気分が重かった。頭の中でグルグル迷い続けていて、何も話すことができなかった。車に乗りこんでから「…どうしても母が心配だから実家に寄ってもいいか」と話した。「行こう」と彼。
雨がパラついていた。
実家についた。
母の靴がない。
綺麗に畳まれた布団
置き手紙、「ふうかさん、ごめんなさい。○○(おばぁちゃんの家)に居ます。たどり着けるかわかりません。」
そんなようなことが書いてあった。
おばあちゃんは3年ほど前に亡くなった。家はもう空き家になっている。
頭は真っ白。
また迷った。
もうダメな気がしていた。
この先一人で行くのか、彼に着いてきてもらうのか。
どう話したか覚えてない。
母の実家(おばぁちゃんち)へ向かうことになった。
おばぁちゃんちへついた。
彼には少し離れたところで車で待つように言った。
一人で入る。
母の靴がある。
「お母さん?」
1Fのリビングのテーブルに置き手紙、
「ごめんなさい。2Fにいます。一人で見ないでください。警察を呼んでください。8/11」
2日前の日付
もうだめだ。
階段を上がった。
スマホと老眼鏡がそっと置かれていた。
2Fの部屋の扉が開いていた。
その部屋に母がいた。
だめだった。
こわかった。
近づけなかった。
その時の姿が頭から離れない。
この10ヶ月ずっと頭にこびりついている。
私は家から飛び出した。
足がずっと震えていた。
彼に状況を説明した。
警察、救急車、おばに電話した。
おばはすぐに来た。
おばが見に行くと行った。止めたが聞かなかった。一人で見せたらダメだと思ったので着いて行ってしまった。
おばが泣き叫んでいた。
「アホとちゃうか!!!!こんなことして!なにしてんのよ!!!」
私はおばを止めた。
私はそれ以上そこにいたくなかったので、もう行こうと言った。
そのあとも大変だった。
でもここまでのことに比べたら、なんてことないのかもしれない。
もう10ヶ月近く経つのに、全てが目の前で起きているかのように思い出される。
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こんなものを抱えて、どう生きていけというのか。
母は自分がしんどくなってからずっと日記をつけていた。それ以外にも母のスマホの検索履歴やメモを見てしまった。そうしていくうちに、私の中に、母の苦しみが乗り移ったと思う。母は、おばとケンカしていた。おばはまたすぐに仲直りするつもりだった。それが寂しかったみたい。私がいくら連絡しようが、だめだったみたい。
母は生きたかったけど生きられなかった。
母が亡くなってからしばらくの間…
電気を消すことができなかった。
外へ出かけてもポロポロと突然涙が出てきた。
仕事の帰りは毎日泣いていた。
一人でまともな思考で家で過ごすことができなかった。
声も小さくなり、全てが悲しく思えた。
関係のない部屋でも扉の向こうを覗くことすら怖かった。
雨の日も悲しくて何もできなかった。
外へ出ることも大好きなサイクリングすることも難しかった。
自分を責め続けた。毎日心の中で謝りながら生きていた。
人と会うこともやめて、早く死んでしまうもりだった。
何度も死のうとした。
同じ場所で同じ方法で逝きたいと何度も思った。けど、怖くてできなかった。頭から離れない最後の姿。
今…
上に書いたことは全て、今は違う。頻度や度合いが減った。私は10ヶ月でこんなにも変わろうとしたし、変わった。でも、それでは足りないらしい。もっと変われと急かされる。次から次へと困難がある。ただ生きてるだけではだめらしい。
「もういいや」そう思ってしまう。私は今日まで頑張ったと思う。だからもう許してほしい。
いろんな人に話してきたが、それで誰かが劇的に私を救うわけもなく、生きる苦しみが和らぐわけではない。人は人、自分は自分なんだなと改めて思う。
「誰かに助けて欲しかった。わかってほしかった。」と思うことすらおかしいのか。甘えなのか。私がまともだからこうなるのか、まともじゃないのか、わからない。
何がなんだかわからないが、ただ、私はもう何もしたくない。昨夜から涙が止まらなくて胸が潰れそうに痛い。
楽しいことも苦しいことも、全てが面倒で、投げ出したい。
…そう思ってるけど多分いつかまた元気になるはず。みんながわたしに声をかけ続けてくれるかぎり、会いたいと言ってくれる限り、会う予定が続く限り、たぶん大丈夫。